−1947年、ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ州カルモで、レバノン人の父、イタリア、シシリー島出身の母の間に生まれる。5歳からピアノを、10代でフルート、クラリネットギターを始める。
−1967年、ブラジル音楽院の奨学金でウィーンに渡る予定が、トム・ジョビンの一言で奨学金を蹴り、単身パリに渡る。
フランスの女優マリー・ラフォーレの依頼でアレンジなどの仕事をする傍ら、コープランド、バーンスタイン、ピアソラ等を教えたナディア・ブーランジェ女史に出逢い、作曲とオーケストレーションを学ぶ。
−1969年、MPBソング・フェスティバル入賞のご褒美に、デビュー作『EGBERTO GISMONTI』をブラジルでリリース。翌年、『SONHO 70』、『ORFEO NOVO』で欧州デ ビュー。
−1971年、ブラジルに帰国。そして、アマゾンの密林でインディオと共に生活し、ブラジルの土着音楽に対する造詣を深め、独自の音楽性を身につけた。
−1973年、ラヴェルのオーケストレーションの構想と、ブラジルの大衆器楽音楽ショーロを自分の音楽性に取り込む為に多弦ギターの奏法を習得。
−1974年、ベルリンのフェスティバルで、ブラジル音楽の鬼才エルメート・パスコアールやナナ・ヴァスコンセロスと共演。その時、ECMの総師マンフレッド・アイヒャーと出逢い、帰国直後、レコーディングの誘いを受ける。
−1975年、アイアート・モレイラを介して、ハービー・ハンコックやウェイン・ショーター、ジョン・マクラフリンなどと出逢い、ジャズとブラジル音楽との関係性を追及。
−1976年末、ECMからナナ・ヴァスコンセロスとのデュオ『Danca Das Cabecas』をリリース。以来、ヤン・ガルバレク、ラルフ・タウナー、コリン・ワルコット、チャーリー・ヘイデン、ジャキス・モレレンバウム、リトアニア交響楽団などと20作品以上をECMからリリース。その他、自らが運営するレーベルCARMOや、EMI-Odeonより30以上の作品をリリースし、世界中を様々なプロジェクトで駆け巡った。
-1992年に大病を患ってからは国外ツアーを控え、作曲、映画音楽の制作、教育を活動の中心にしていた。
−2001年、久々にECMより、モントリオール・ジャズ・フェスティバルでの1989年のチャーリー・ヘイデンとの録音が発表され話題を呼び、2003 年モントリオール・ジャズ・フェスに再び出演し、力強く美しいソロ・パフォーマンスで待ち構えていたファンに健在振りを示した。
−2002年、世界最高峰のチェリスト、ヨーヨー・マから熱いラブコールを受けて「オブリガード・ブラジル」(Sony)の録音に参加。そのプロジェクトは世界ツアーも行い、日本公演も開催されたが、残念ながら期待されていたジスモンチの来日は実現しなかった。
−2007年8月、16年ぶり奇跡の来日を果たし、ソロ・コンサートを行った。
8月20日@第一生命ホール
8月21日@草月ホール(追加公演)
-2008年7月、「東京の夏」音楽祭に参加。音楽祭のオープニングを、東京フィルハーモニー交響楽団、指揮;沼尻竜典との共演で飾る。
その様子は、NHK「芸術劇場」でも放送され、好評を博す。
7月3日《オープニング》オーケストラ・コンサート@紀尾井ホール
7月4日ソロ@大阪ザ・フェニックスホール
7月5日ソロ@第一生命ホール(追加公演)
7月7日ソロ@浜離宮朝日ホール